30歳、仕事休業中。人生2度目の痛風

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その時、私は痛みで目覚めた。

AM5時30分。窓から眺める空はまだ薄暗い。

「夏の早朝も美しい。」

足の親指から発生する信じられない痛みを、心は受け止められないでいた。

1回目の痛風は27歳だった。

この痛みは初めてではない。

1回目に経験したのは2019年の夏だった。

その年は、ちょうど令和になった年だ。

菅さんが、年号の新ネームを発表したとき、私は足の親指の痛みに泣いていた。

このときは、痛風の痛みを知らない。自分が痛風になるなんて思ってもいない。

ドクッドクッ。

痛みが足に血が流れていることを教えてくれる。ありがとう、生きている私。

足元を見ると、左足はパンッパンに腫れている。

「これって痛風か?え、20代でなるの?」

いや、もうそれは医者に決めてもらおう。とにかく病院へ。

近くの内科へ予約なしで突撃。徒歩5分の距離が40分かかった。

「待って、骨折だったら外科だよな。行く病院間違えたかも。」

いきなり焦りだす痛風初心者。

10分ほど待って診断室へ。

先生は70歳くらいのおじいちゃん。見るからに大ベテラン。

私の足を見て数秒。

先生「ありゃ、痛風じゃん。」

さすが、ベテランは診断が早い。

私「でも、20代で痛風ってなるんですか?」

先生「君がなってじゃん。おめでとう!最年少!」

私「ありがとうございます!」

こうして、最年少痛風記録を更新した私。

恐らく痛風になっておめでとうと言われたのは私だけではないだろうか。

あの痛み、再び。

AM5時35分。

思い出を振り返りながら、懐かしい痛みを感じていた。

今は2022年、あの出来事から3年は経っている。

この3年間は色々あった。

まず職場が変わった。元の職場では人間関係が上手く行かず逃げるように退職。

当時の上司のことは今でも恨んでる。

今の職場はいい人たちばかりだ。しかし、仕事の内容が難しすぎてついていけず、先月に休業申請を出した。

そして、今は休業中。医師からは適応障害と診断された。

日々尿酸値のように溜まったストレスで、ついに炎症を起こした私。

「社会人向いていないんだろうなぁ。」

ドクッドクッ。

腫れ上がった足元が泣いているようだった。

歩く。

痛風は薬を飲んでその日に治った。

朝は立つこともやっとだったが、夜には歩くことができた。

泣くほど痛いが、すぐに治る。これが痛風。

そして、来週で休業期間終了だ。

これからどうやって歩いて行こう。





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